フィリピンの歴史【分かりやすい英語が話せる理由】

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留学する人
なんでフィリピン人は英語を話せるんですか?
かずき
結論から言うと、フィリピンの歴史が関係しています。

その結果、現在でもフィリピンは小学校から大学まで英語教育を取り入れていて、フィリピンはアジアの中でも英語が得意で、映画を字幕なしで見るようです。

英語はフィリピンに独自のスタイルで浸透して街には英語とタガログ語の看板が溢れています。

なぜ小学校から大学まで英語教育を取り入れることになったのか?を知るために、今回は分かりやすくフィリピンの歴史を説明します。

 

この記事の内容
  • 英語が使われるようになった歴史
  • フィリピンは占領され続けていた
  • 最終的にフィリピン英語(タグリッシュ)が残る

 

どーも、かずき(@Kazki413)です。

この記事を書いている僕はワーホリ、フィリピン留学の経験者です。現在はワーホリ・2カ国留学が得意なETHOS(エトス)で働いている関係でフィリピンについて詳しい方です。

中学生時代、京都の修学旅行がつまらなかったのに大人になったら京都に行きたくなるように、セブ島の歴史観光が少しだけ楽しくなる内容です。

さて、話はスペインの占領時代まで遡ります。

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目次

フィリピンの歴史を分かりやすく説明

アメリカ占領以前は、スペインがフィリピンを植民地化

ラプラプ像

大航海時代のマゼランを倒したラプラプの像。

分かりやすく説明
  • 1521年スペインの派遣したマゼランがフィリピンに到達!
  • マゼランはセブ島の人たちを強制的にキリスト教へ改宗
  • セブ島の隣にあるマクタン島の首長ラプラプが反発
  • マゼランが怒ってマクタン島へ軍を派遣
  • マゼラン返り討ちにあって死亡

 

はじめに大航海時代に遡ります。この時代はスペインが世界各地を侵略していた時代です。

1521年にマゼラン海峡の発見や、西回り航路で有名なマゼラン(ポルトガル人)が、スペイン王の命令で世界就航を試みている最中のフィリピン諸島の1つ、スルアン島に到達します。

そこからマゼランはセブ島へいき、次々と強制的にキリスト教への改宗をすることに成功します。

だけどマクタン島の首長ラプラプ(イスラム教徒)がこれを拒否。

それに怒ったマゼランはマクタン島へ軍を派遣するも、ラプラプ軍(当時のセブ島のひとたち)に返り討ちにあいマゼラン本人が殺害されます。

このラプラプ軍が甲冑で身を固めたスペイン軍の足だけが無防備であることをついた巧みな戦術で勝利することになります。

ラプラプは英雄とみなされ現在でもラプラプ像は観光スポットとなっています。

この記事:セブ島で最古のサントニーニョ教会には絶対に行くべき in フィリピンで紹介しているセブ島のサントニーニョ協会にはマゼランクロスというマゼランが建てたとされる十字架があります。

マクタン島は「マゼラン終焉の地」としても有名です。その後、スペインの植民地となります。

僕の持つイスラム教のイメージと違いますが筋骨隆々のラプラプはイスラム教徒だったという事です。

ちなみに今でもマクタン島にはラプラプシティと言う街と、ラプラプフィッシュというフィリピンの高級魚もいます。

英雄ラプラプの反撃むなしくサラゴサ条約が締結されフィリピンはスペインの植民地になります。

それからフィリピンにスペイン人が増えてきて今に至ります。

記事:【単純です】フィリピン人の性格の特徴を知って上手に付き合おうでも伝えているように、フィリピン人の国民性は情熱的でフレンドリーと言われています。

アメリカがフィリピンをスペインから買い取る

アメリカ

アメリカがフィリピンを2000万ドルでスペインから購入。

分かりやすく説明
  • アメリカがキューバの独立を支援する形でスペインを敵に回す
  • アメリカがフィリピンの独立を全面協力すると約束
  • フィリピンが独立宣言
  • スペインがアメリカにフィリピンを2000万ドルで売り渡す
  • フィリピンがアメリカの植民地になる
  • フィリピンが怒る!

1890年代後半、第二次キューバ独立戦争に介入する時期にアメリカははじめてフィリピンに注目する事に。

なぜならキューバはスペインの植民地で、同時にすでに300年以上スペインがフィリピンを植民地化している事に気づきます。

そこで米国民の関心をフィリピンに惹きつける必要があったためセオドアローズ・ベルトを筆頭に数人が自然的発生ではなく、仕掛け人として動き回ります。

アメリカはフィリピンの独立に全面協力することを条件にして事実、1898年6月12日にフィリピンはアメリカからの独立を宣言します。

時のアメリカ大統領ウィリアム・マッキンリーは「フィリピン軍諸島は合衆国の自由なる旗のもとに置かれなければならない」とする声明をだします。

またアメリカは国家として「アメリカは偉大で豊かな国であり、植民地を必要としないし、欲しいとも思わない」というスタンスをとります。

そこから、いろいろあって最終的にはフランス、パリでスペインと講和会議を開き、条約に調印、スペインはフィリピンを2000万ドルで米国に売り渡すことに。

これで合法的にフィリピンの主権が米国に移ります。

アメリカはフィリピンの独立運動を助けた3ヶ月後にフィリピンをアメリカの植民地にします。

フィリピンつかの間の独立。

フィリピン共和国初代大統領エミリオ・アギナルドと国民は抗議することになります。 

アメリカ占領時代の影響で英語熱がフィリピンに広がる

横からみたラプラプ像

フィリピンは300年以上スペインの支配下後に事実上アメリカ主権を奪われることに。

分かりやすく解説
  • アメリカがフィリピンをアメリカ化させる
  • 1901年米軍の有資格者504人を小学校教師にする
  • フィリピンの小学校が全教科英語になる
  • 1902年に教師が1074人に増員
  • フィリピンで急に英語が必須になる!
  • フィリピン人に英語熱が加熱
  • アメリカに憧れるフィリピン人の大量生産成功

フィリピン人がアメリカ英語を話せる理由は、アメリカ時代にフィリピン社会のアメリカ化を進めたことがはじまりです。

まず米軍の中から有資格者が小学校教師に選定されて、英語による全教科の教育を開始します。1901年に540人の教師が汽船トマス号でマニラへ、そして翌年には増員されて1074人になります。

今の日本でも英語熱があり、インターナショナルスクール、プリスクールが盛んですが、アメリカ時代のフィリピンでも英語は必需品となりました。もちろん日本のように知識階級だけでなく、英語熱は一般市民にまで広がります。

言い方は悪いですが、歴史的に見るとフィリピン人に劣等感と、アメリカに対する憧れを植え付けるエサでもあったようです。

アメリカから独立、そしてタグリッシュ(Taglish

分かりやすく解説
  • フィリピンがアメリカから独立
  • アメリカ人の小学校教師いなくなる
  • 徐々にアメリカ文化薄れていく
  • 英語が独自に進化してタグリッシュに

194674日フィリピンはアメリカから独立します。これを機に、アメリカ人から直接英語を教わる時代が終わりを迎えます。

アメリカ時代には、アメリカ人(英語のネイティブ・スピーカー)から直接生きた英語に触れることができました。

ですが独立後は直接アメリカ人からアメリカ英語に触れる機会が徐々に減っていき、フィリピン英語(タグリッシュ)と言われる独自の英語が浸透していきます。

 

事実、現在のフィリピン人よりも当時のフィリピン人の方が英語が上手かったと言われます。

なぜなら当時のフィリピン人はアメリカ人の教師から教育を受けていましたが、現在、英語で教育をしているのはフィリピン人です。

フィリピン人が先生として、生徒に英語で授業しています。

時が経つにつれてイングリッシュが独自の使われ方、話し方に変わって行きタグリッシュへと変化していくのは、もはや必然です。

記事:「なまってる?」フィリピン人の英語は発音が違う【特徴あり】でもお伝えしている通り話し方や訛りもフィリピンの英語は独特です。

アメリカ占領下で受けられた英語は恩恵か?

その時代があったからフィリピン人は英語を使えるわけで、日本でもフィリピン留学の認知度が年々上がってきています。

現在、フィリピン政府は海外労働を推奨していますが、その海外へ出稼ぎに行く時に役に立つのが英語です。

1990年代から韓国でフィリピン留学が普及して、現在では日本もマーケットとして広がりを見せている理由も、アメリカ化が恩恵です。

そして今でもフィリピン人は英語を積極的に学ぶ理由があるという事です。出稼ぎに国外へ行くにしても、国内で良い職につくためにも英語が必須だからです。

(まとめ)フィリピンの歴史を知ると英語が話される理由が分かる

今回、アメリカ英語を話すフィリピン人のはじまりを記事にするために私個人では知識不足だったため参考資料として下記を参考にしました。

興味のある方は読んでみてください。とりあえず、めちゃくちゃ難しかったので本当に知りたい人だけ読んでみてください。

それとあわせて、書籍、ネットの情報を合わせて記事にしていますので、間違いがある可能性もあります。もし間違いがあればご指摘頂けると幸いです。

(参照)
History of the Philippines(1898-1946)

 
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