アメリカ占領時代のフィリピン人の英語は今より上手かった

独立

フィリピン・セブ島と、オーストラリア・ワーホリの2カ国留学<エリート留学>

↓↓↓ はじめての方はこちらへ ↓↓↓
フィリピン・セブ島留学、ホームステイ実績NO.1のETHOS

「なんでフィリピン人は英語を話せるんですか?」この質問の回答では、小学校から大学まで英語教育を取り入れているから、映画も字幕なしだし、看板も英語。英語を公用語にしていしてるから。これが一般的な回答です。でももっと詳しく知りたいですよね?

そこで今回は敢えてよく聞く理由を、深く追求してみました。中学生時代、京都の修学旅行がつまらなかったのに大人になったら京都に行きたくなるように、セブ島の歴史観光が少しだけ楽しくなる内容です。

さて、話はスペインの占領時代まで遡ります。

アメリカ占領以前は、スペインがフィリピンを植民地化

ラプラプ像

大航海時代のマゼランを倒したラプラプの像。

はじめに、マゼラン海峡の発見や、西回り航路で有名なマゼラン(ポルトガル人)が、スペイン王の命令で世界就航を試みている最中の1521年。フィリピン諸島の1つ、スルアン島に到達します。

そこからマゼランはセブ島へいき、次々と強制的にキリスト教への改宗をすることに成功。だけどマクタン島の首長ラプラプ(イスラム教徒)がこれを拒否。

怒ったマゼランはマクタン島へ軍を派遣するも、返り討ちにあいマゼラン本人が殺害されます。このラプラプ軍が甲冑で身を固めたスペイン軍の足だけが無防備であることをついた巧みな戦術で勝利することになります。

ラプラプ像を見ると同じく足(だけじゃなく全身)が無防備ですが、マゼランとその部隊は足を攻めずに戦ったのか不思議におもいますが話を進めます。

ラプラプは英雄とみなされ現在でもラプラプ像は観光スポットとなっていて、マクタン島は「マゼラン終焉の地」としても有名です。その後、スペインの植民地となります。

この筋骨隆々のラプラプはイスラム教徒だったという事です。なんか私の持つイスラム教のイメージと違います。ちなみに今でもラプラプがいたマクタン島にはラプラプシティがあります。そしてフィリピンの高級魚はラプラプフィッシュです。

フィリピンをスペインから買い取るアメリカ

アメリカ

アメリカがフィリピンを2000万ドルでスペインから購入。

1890年代後半、第二次キューバ独立戦争に介入する時期にアメリカははじめてフィリピンに注目する事に。それと、同時にすでに300年以上スペインがフィリピンを植民地化している事に気づきます。

そこで米国民の関心をフィリピンに惹きつける必要があったためセオドアローズ・ベルトを筆頭に数人が自然的発生ではなく、仕掛け人として動き回ります。

そこから、いろいろあって最終的にはフランス、パリでスペインと講和会議を開き、条約に調印、スペインはフィリピンを2000万ドルで米国に売り渡すことに。これで合法的にフィリピンの主権が米国に移ります。

実はその3ヶ月ほど前に、アメリカはフィリピンの独立に全面協力することを条件にして事実、1898年6月12日にフィリピンはアメリカからの独立を宣言します。

時のアメリカ大統領ウィリアム・マッキンリーは「フィリピン軍諸島は合衆国の自由なる旗のもとに置かれなければならない」とする声明をだし、国家として「アメリカは偉大で豊かな国であり、植民地を必要としないし、欲しいとも思わない」というスタンスをとります。

しかし、フィリピンの独立運動を助けた3ヶ月後にフィリピンをアメリカの植民地にします。つかの間の独立。フィリピン共和国初代大統領エミリオ・アギナルドと国民は抗議することになります。 

アメリカ占領時代の影響で、日本のような英語熱がフィリピンに広がる

横からみたラプラプ像

フィリピンは300年以上スペインの支配下後に事実上アメリカ主権を奪われることに。

フィリピン人がアメリカ英語を話せる理由は、アメリカ時代にフィリピン社会のアメリカ化を進めたことがはじまりです。

まず米軍の中から有資格者が小学校教師に選定されて、英語による全教科の教育を開始します。1901年に540人の教師が汽船トマス号でマニラへ、そして翌年には増員されて1074人になります。

今の日本でも英語熱があり、インターナショナルスクール、プリスクールが盛んですが、アメリカ時代のフィリピンでも英語は必需品となりました。もちろん日本のように知識階級だけでなく、英語熱は一般市民にまで広がります。

言い方は悪いですが、歴史的に見るとフィリピン人に劣等感と、アメリカに対する憧れを植え付けるエサでもあったようです。

アメリカから独立そしてタグリッシュ(Taglish

独立

当時のフィリピンも、今の日本や韓国のような英語熱が起こる。

194674日フィリピンはアメリカから独立します。これを機に、アメリカ人から直接英語を教わる時代が終わりを迎えます。

アメリカ時代には、アメリカ人(ネイティブ)から直接生きた英語に触れることができましたが、独立後は直接アメリカ人より、アメリカ英語に触れる機会が減っていき、フィリピン英語(タグリッシュ)と言われる独自の変化をとげていきます。

その当時から英語がどのようにタグリッシュに変化して、実際にアメリカ人はどう思うのか?についてはETHOS学長のBarry(バリー)が話してくれています。「フィリピン人は実際に英語がアメリカでどのように話されているのか知らない。

事実、現在のフィリピン人よりも当時のフィリピン人の方が英語が上手かったと言われます。

なぜなら当時のフィリピン人はアメリカ人の教師から教育を受けていましたが、現在、英語で教育をしているのはフィリピン人です。フィリピン人が先生として、生徒に英語で授業しています。時が経つにつれてイングリッシュがタグリッシュへと変化していくのは、もはや必然ではないでしょうか。

アメリカ占領下で受けられた恩恵が英語

その時代があったからフィリピン人は英語を使えるわけで、日本でもフィリピン留学の認知度が年々上がってきています。

現在、フィリピン政府は海外労働を推奨していますが、その海外へ出稼ぎに行く時に役に立つのが英語です。

1990年代から韓国でフィリピン留学が普及して、現在では日本もマーケットとして広がりを見せている理由も、アメリカ化が恩恵です。

そして今でもフィリピン人は英語を積極的に学ぶ理由があるという事です。出稼ぎに国外へ行くにしても、国内で良い職につくためにも英語が必須だからです。

まとめ

今回、アメリカ英語を話すフィリピン人のはじまりを記事にするために私個人では知識不足だったため参考資料として下記を参考にしました。興味のある方は読んでみてください。とりあえず、めちゃくちゃ難しかったので本当に知りたい人だけ読んでみてください。

それとあわせて、書籍、ネットの情報を合わせて記事にしていますので、間違いがある可能性もあります。もし間違いがあればご指摘頂けると幸いです。

(参照)

物語 フィリピンの歴史―「盗まれた楽園」と抵抗の500年 (中公新書)

マゼラン 最初の世界一周航海――ピガフェッタ「最初の世界周航」・トランシルヴァーノ「モルッカ諸島遠征調書」 (岩波文庫)

History of the Philippines(1898-1946)

 

ホームステイ実績No1!フィリピン・セブ島留学のETHOS

↓↓↓ はじめての方はこちらへ ↓↓↓
フィリピン・セブ島留学、ホームステイ実績NO.1のETHOS

独立

ABOUTこの記事をかいた人

kazuki

ETHOS LLC. 代表。 セブ島、オーストラリア、インドネシア留学経験者。趣味は筋トレ、特技は柔術、水泳。34才。 詳しいプロフィールはこちら

3ヶ月で英語が話せるフィリピン留学

3ヶ月で英語が話せるようになるETHOSは、安心、安全のアメリカ人とホームステイができる、フィリピン・セブ島への海外留学を提供している学校です。

ホームステイ実績No1!フィリピン・セブ島留学のETHOS